文月(ふみづき)

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最も一般的な名称は「文月」で、旧暦の七、八、九月は秋と言われ、七月になると次第に夜が長くなり、読書などに適していると言うことから名づけられたと言われています。

他に、「七夜月」(ななよづき)、「新秋」(しんしゅう)、「秋初月」、「親月」等と言われています。また、   七月七日は、年に一度、天の川を隔てて二つに星、織姫(ベガ)と牽牛(アルタイル)がまみえるという 「七夕祭り」があることから「七夕月」、「愛逢月」(めであいづき)、「女郎花月」(おみなえしづき)などロマンチックな名称もつけられています。

今月の二十四節気と雑節

二日―半夏生(はんげしょう)

七日―小暑(しょうしょ)

二十四日―土用(どよう)

二十三日―大暑(たいしょ)

今月の草木花

合歓の木(ねむのき) 透百合(すかしゆり)    紅花(べにばな) 睡蓮(すいれん) 擬宝珠(ぎぼうし) 槿(むくげ) 蓮(はす) 御前橘(ごぜんたちばな

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半夏生(はんげしょう)

雑節の一つである「半夏生」は、夏至から数えて十一日目で、正しくは、この日から五日間を言います。梅雨が明け、田植えも終わるころで、昔の人は、この日から  毒気を含んだ雨が降るといって、野菜を食べなかったり、このとき雨が降ると大雨になると言って恐れました。 このころ「半夏」(はんげ)という草(からすびしゃくと いう薬草でもあり毒草でもある草)が生えることから、この名が付いたと言われています。

鉄砲水

梅雨明けの頃は特に、集中豪雨など大雨がよく降り、堰き止められていた川の水が決壊して一気に流れる、 いわゆる「鉄砲水」が起きやすい時期です。昔、切り出した木材を効率的に運ぶため、急造のダムを作り、わざと決壊させ流すことを「鉄砲流し」と言い、これが語源と言われています。

鱚(きす)

キスは暖海性の魚で、日本の太平洋岸ではかなりの 広範囲にわたって釣られます。キスにはシロギスとアオギスとがあり、一般に出回っているのはシロギスです。旬は初夏から秋で、浅海の砂地や砂泥地に棲んでいます。語源は「生直」(キス)からと考えられ、「生」は、混じりけのないこと、純粋を意味し、「直」は性質が素直で飾り気のないこと、と言う意味です。

小暑(しょうしょ)

二十四節気のひとつで、夏至から数えて十五日目、  七月六、七日頃にあたります。この頃になるとだいたい梅雨があけ、夏型の気圧配置となり、気温も高まり本格的な夏に向かっていきます。

七夕(たなばた)

もともと「たなばた」は、「棚機」と書きました。昔、  旧暦の七月十五日の満月の夜、祖先の霊が我が家に戻って寝食を共にし、また天上に帰っていくと信じられていました。そのため村々で選ばれた女性が祖霊の天下ってきそうな池、湖、海などのほとりで、祖霊に着せる衣類を織機で織り、用意された棚に置くという風習がありました。つまり「棚」(たな)に「機」(はた)で織った衣服を供えることから「たなばた」という言葉が生まれました。 その後仏教が伝来し、この日は亡者を救う仏教上の日となり、七月七日まで繰り上げられました。この夜人々は心身を清め願い事をかなえてもらおうとし、各戸に笹竹を立て、願いや祈りを五色の短冊に書き結び付けました。この七夕竹に付いた心身の汚れを洗い流してしまう 意味で、この笹竹を川や海に流します。これを「七夕流し」とよんでいます。

鱧(はも)

夏が旬の魚で、関東よりも関西地方で賞味されています。京都の祇園祭は、別名「鱧祭」とも呼ばれ、その時期の鱧料理は特に有名です。鱧は生命力が強いため、交通手段の悪かった時代、内陸の京都でも、活きのいい鱧が取り扱えたことが、それにつながると考えられています。

鱧は、青森県以南の西太平洋からインド洋にかけての暖海に生息し、大陸棚の砂泥底に棲んでいます。小魚、甲殻類、イカ、タコなどを食べ、春に北上して秋に南下します。脂肪分は、約十三パーセントと、比較的多く  含み、ビタミンAも豊富です。ちなみに、北日本では、マアナゴの事を鱧と呼ぶ地方もあります。

京都祇園祭(七月一日~二十九日)

今からおよそ千二百余年前(八六九年)、疫病の流行に際して祇園社(八坂神社)が御霊会(ごりょうえ)を催したのが始まりとされています。占いにより、全国の国数に準えて六十六本の鉾を立てて祀り、神輿(みこし)を  神泉苑に奉じて、御霊会の法楽を行いました。その後、民衆の経済力が伸びると共に、次第に鉾は豪華になっていき、応仁の乱の後、町ごとに山鉾の出し物を競うようになりました。今では、二十九日間の祭事の圧巻は十七日の山鉾巡業と言われるようになりました。

土用(どよう)

雑節の一つである「土用」は、一年に四回ありますが、七月二十日頃にあたる、夏の「土用」が一般的によく知られています。

昔、中国に「五行説」と言って、天地の全ては「木」「火」「土」「金」「水」の五気が支配すると言う考えがありました。一年を五つに分け、春は「木」、夏は「火」、秋は「金」、冬は「水」がそれぞれ分担し、残りの七十三日をさらに四つに分け、それぞれの季節の間におき、「土」が受け持つとしたのが「土用」の名の起こりとされています。一般的な夏の「土用」は立秋の前、十八日間にあたり、「土用」の初の日を「土用の入り」と言います。

土用の丑の日の鰻

なぜ「土用」に鰻を食べるのか―江戸中期、売上が少なく困っていたの鰻屋の愚痴を、知人の博物学者で有名な平賀源内が聞きました。源内独特の奇知を働かせて、 店頭に「土用の丑の日」と大書きした看板を出させたところ、何のことか判らないところに帰って宣伝価値があり、知ったかぶりの江戸っ子が、わんさわんさと鰻を買い求めたことが起源とされています。夏は誰でも脂肪分の多い食物を嫌うため夏痩せをしますが、そのとき脂肪分の多い鰻を食べることは、栄養的にも大いに良い事とされています。

大暑(だいしょ)

二十四節気のひとつで、今の暦では七月二十三日頃にあたります。「大暑」は「夏至」の三十日後、「小暑」の十五日後とされています。「大暑」といっても実際は、約十五~二十日後の八月十日前後が平均気温の最も高くなるときです。梅雨が明けて急に暑さが加わること、湿気が多く暑さに体が慣れていないのが、この「大暑」の時期で、一番暑く感じられ、その名が付いたとされています。

天神祭(てんじんまつり)

京都の祇園祭、東京の神田祭と共に、日本の三大祭として有名な「天神祭」は、菅原道真公の鎮魂祭が起源で、千年以上の歴史を持っています。

二十四日九時に中之島公園剣崎で、船から神鉾を流す「鉾流れ神事」で天神祭は始まります。この日は大阪城の陣太鼓の演奏などが行われます。二十五日は、十四時 から、大祭と神霊渡御の祭典の後、十五時から神幸が 始まります。行列は、ふれ太鼓、神鉾、獅子舞、花傘、神輿二基など三千人からなる豪勢なものです。夕刻十七時に供奉員が乗船し、神霊は十八時に御座船に移り、 十八時三十分から水上渡御が始まります。百三十余隻の船団が堂島川を都島大橋まで往復します。そして二十二時に上陸して「天神祭」は終わります。

瓜(うり)食(は)めば 子等(こども)思ほゆ 栗食(は)めば 況(ま)して偲(しぬ)ばゆ

いづくより 来(きた)りしものそ 眼交(まなかひ)

もとな懸(かか)りて安寝(やすい)しなさぬ

(万葉集、巻五、山上(やまのうえ)憶良(のおくら))

歌意は「瓜を食べると、これを食べたらどんなに喜ぶだろうと、まず子供の事が思われる。栗を食べると  まして子供のことが思われる。いったい子供はどこから来たものであろうか。こうして離れていても活発な子供の面影が眼前にやたらにちらちらして、安眠しないことだ。」となります。

たなばたの 五百機(いほはた)立てて 織る布の

秋さり衣 誰か取り見む

(万葉集、巻十、作者不詳)

歌意は「たなばたつめが、たくさんの機を立てて織る布で作る秋の着物は、誰が手に取ってみて着るのであろう。もとより彦星であろう。」となります。

道のへの うまらのうれに 這(は)ほ豆の

からまる君を はかれか行かむ

(万葉集、巻二十、丈部鳥(はせつかべのとり))

歌意は「道のほとりのノイバラの枝先に這いまつわり、絡み付いているヤブ豆のように、私にまつわりついて はなれない若君をあとに残して別れて防人(さきもり)として出て行くことであろうか」となります。

風吹けば はすのうき葉に 玉こえて

涼しくなりぬ ひぐらしの声

(金葉和歌集、夏、源俊頼(みなもとのとしより))

歌意は「夕風が吹き渡るとさざなみが立ち、それが玉のように蓮(はす)の浮き葉の上を転がってゆく。まことに涼しい感じである。折りしも、ひぐらしの声が聞こえてきて、いっそう涼しさを感じさせる。」となります。

 



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