正月 睦月(むつき)

睦月イメージ「南天」

一月のことを「正月」と言いますが、「正」には「改める」「改まる」の意味があります。すなわち、年が改まった 最初の月と言う意味で「正月」と名付けられました。しかし、一月十五日(小正月)を過ぎてしまうと「正月」という言葉もすわりが悪くなるので、十六日以降は別の名称を使うようになりました。おめでたい月なので 「嘉月」(かげつ)「正陽月」(しょうようがつ)「初陽」(しょよう)「年初月」(ねんしょげつ)等と呼ばれています。また、新しい年を一家の人々が仲良く、睦まじく迎える月と言う意味で「睦月」というのが最も一般的な名称とされています。

今月の二十四節気と雑説
六日―小寒(しょうかん)

十七日―土用(どよう)の入り

二十日―大寒(だいかん)

今月の草木花
福寿草(ふくじゅそう) 南天(なんてん) カトレア  蝋梅(ろうばい) シンビジューム ファレノプシス デンファレ シネラリア デントロビューム

作一の季節便り

新年の祝い

農耕民族である日本人は、一年間の農耕生活を見守ってくれる神様を「お正月様」「とし神様」(としは、お米を意味していました)と呼び、「若水」(元旦に初めて汲む水)を、その神様にお供えすることを一年の最初の行事としていました。また、その神様と共に、新年を祝うという意識から、屠蘇酒を酌み交わし、おせち料理と、餅入りのお雑煮を食べ、祝いの会食をするようになりました。そして、「とし神様」の恩恵を分かち合う意味で、一人一人に小さな餅を配り、これを「お年玉」と呼んでいました。

小寒(しょうかん)

二十四節気の一つで、今の暦では五日頃にあたります。また、「寒の入り」(寒の季節に入る日)にも当たり、この日から大寒を過ぎ、節分に至るまでが、一年中の極寒期に当たるとされています。そして節分から一夜明ければ立春です。

鎌イタチ(かまいたち)

極寒の季節に、何かの拍子に皮膚が裂けて切り傷のようになる現象を言います。信越、東北地方などで、妖怪じみた獣の仕業として恐れられていましたが、現在 では、寒風の中で、真空状態ができることから起きるのではと説明されています。

七草粥(ななくさがゆ)

中国では、この日を「人日」という古俗があります。つまり、一日が鶏、二日が狗(いぬ)、三日が猪、四日が羊、五日が牛、六日が馬、そして七日が人と言うわけで、「七日正月」として祝うと決められていました。この「七日正月」の佳説を七草の粥で祝うことは、古代中国から伝わり、万葉時代から行われて、年中行事の 一つとされていました。最も当初は、七草も草ではなく、七つの穀物、すなわち、稲、麦、豆、粟、小豆、黍(きび)、小麦の七種を粥にしたものでした。その後、鎌倉時代に今のような七草になったと言われています。ご存知のように、七草は、春と秋にありますが、春の七草は、芹(せり)、なずな(ぺんぺん草)、御形(ははこぐさ)、はこべら(はこべ)、仏の座(こおにたびら)、すずな(とうな)、すずしろ(だいこん)です。七草粥を食べる風習は、冬にどうしても不足がちになるビタミンCを、七草によって補給しようと言うもので、また、餅やお節料理などの重たいものばかりを一日でも止めて、軽い七草粥にすると言うことは、大変合理的と言われています。

鏡開き (一月十一日)

平安時代、長寿を祝う新年の行事の一つとして、大根、押鮎などを食べる風習が、室町時代以降、武家階級の行事となりました。その頃は、男子は鎧櫃(よろいびつ)に、女子は鏡台に供えた鏡餅を、「刀柄」(はっか)、「初顔」(はつがお)の祝いとして食べました。これを「鏡開き」というのは、鏡餅は刃物で切ることを忌み、手や槌で割り開いたことによると言われています。

今宮えびす祭り

全国的に有名な「えびす祭り」は大阪市浪速区の今宮神社などで、毎年行われます。この社は兵庫県西宮の「えびす神社」を現在地に観請し「新宮の夷」(いまみやのえびす)と呼んだのに始まり、後に、「いまみや」はこのあたりの呼称となりました。「えびす祭り」は八日から十二日にかけて行われます。八日は餅つき神事、福娘の豆まき、舞楽奉納があります。九日は宵えびす、十日は本えびすで、大阪南地の芸妓舞妓らは、十数挺の籠にのり、参拝するとき籠の中には友禅の座布団を厚く敷き重ね、籠を紅白のちりめんで飾ります。それを、そろいのハンテンを着た籠かきが「ホエカゴ・・・・・」と掛け声勇ましく練り込みます。これを「宝恵籠」と言います。

四天王寺どやどや(一月十四日)

大阪市天王寺区元町の四天王寺六時堂で行われます。四天王寺では元旦から十四日にかけて二週間、修正会が行われますが、その結願の日に若者たちが裸になり、六時堂の心柱を囲み、互いに押し合いもみ合い、押し勝った方がその年の豊作を得ると言われています。また、六時堂の前で牛王(ごおう)の護符を撒き、これを参拝者が競って奪い合います。この押し合い祭は、新年にあたって、その年の豊作を占う年占いの行事で、「おす」は本来相撲などと同じく、神が土地の精霊を圧し鎮めて、その年の豊作を約束する意味で、一種の呪術的行動であったと言われています。

水菜

大阪の名物料理「はりはり鍋」に使われる水菜は、十七世紀、京都東寺九条あたりで畝(うね)間に水をいれて栽培したことから水菜と呼んだとの記載があります。また、よく似た壬生菜は、京都の壬生付近で、水菜の中に葉に切れ込みがない菜が見いだされ、盛んに栽培され、やがて壬生菜と呼ばれるようになったと言われています。水菜は分枝性が非常に強く、一株の葉数は六〇〇以上、株重は四kgになるものもあり、食物繊維、ビタミンC、Eを多く含みます。

小正月(しょうしょうがつ)

一月十五日、満月を年の始めとする古い暦のうえの 正月の名残りを「小正月」と言います。ところによっては今でもこの日を祝う習慣が残っている地方もあります。「小正月」のことを、信州では「若年」、能登では「若正月」、飛騨では「二番正月」、越後では「小年」、埼玉では「花正月」、九州では「望正月」といい、京阪地方では「女正月」と呼んでいました。

大根(だいこん)

原産地は中央アジアといわれていますが、根拠となる定説はありません。しかし、古くから食用とされており、エジプトでは、ピラミッドを築いた奴隷たちも常食と していたと記録にあります。日本でも古くから食用・栽培され、日本書紀や古事記にも「オオネ」と言う名で記載されています。一般的に普及したのは江戸時代からで、その後も改良が加えられ、一九八〇年代、今の青首大根がブームとなり、用途におおじた青首の一代雑種が育成されています。大根には、ビタミンCが多く含まれ、また、消化を助けるジアスターゼや、焼き魚の焦げに含まれる発ガン性物質を分解するオキシターゼが含まれています。葉の部分も、鉄、ビタミンB1・B2・A・C、カルシウムに富んでおり、体に良いとされています。

大寒

二十四節気のひとつで二十日頃にあたります。小寒から二月三日の節分まで、寒の三十日間の真中にあたり、寒さが最も酷な時期といわれています。そして、この大寒の終わりを寒明けと言います。

初天神(一月二十五日)

新年最初の天満宮の祭日を言います。もともと天神とは国津神に対する天津神の総称でしたが、平安期の中ごろ、菅原道真を祀った天満宮と同一視されるようになり、「天神様」と呼ばれて親しまれてきました。この日、各地の天満宮は参拝客でにぎわいます。大阪の天満宮では、北の新地(曽根崎)の芸妓連が、黒紋付に裾模様の盛装をして、紅白のちりめんで飾られた籠に乗り、幇間(たいこもち)を大勢先頭にたて、担ぎ手一同「ホエカゴホイ……」とはやしたてながら参拝をします。これを「宝恵駕籠」と言います。また、紅白の梅の作り枝に小判などをつけたものを売る店が出、さらに華やかさを添えます。

新しき 年のはじめの 初春の 今日(けふ)降る雪の いや重(し)け吉事(よごと)【万葉集、巻二〇、大伴 家持 ( やかもち )】歌意は「新しい年のはじめの今日から、初春のめでたい兆しとして、降り積もった雪のように、めでたい事はいよいよ積もり重なってほしい。」となります。天平勝宝三年正月一日、因幡の国庁で、部下の郡司等を集めて、新年の饗宴を催している時に歌われました。

松の 花 ( はな )   花 ( はな ) にしも 我が 夫子 ( せこ ) が 思えらなくに もとな咲きつつ

【万葉集、巻十七、 平郡氏女郎 ( へぐりうじのいらつめ )】歌意は「松の花は、花の数とも、あなたが思っていないのによしなく咲いています。あなたは私のことなどは念頭にもないのに、私はむなしくお慕いしています。」となります。「松の花」に作者自身をたとえて歌われています。

三諸 ( みもろ ) は人の 守 ( も ) る山  本辺 ( もとべ ) は 馬酔木 ( あしびき ) 花開 ( はなさ ) き  末辺 ( すえべ ) は椿咲く うらぐわし山ぞ泣くこ児も守る山

【万葉集、巻一三、作者未詳】歌意は「三諸の山は、人が番をして守っている山である。麓の方はあしびきの花が咲き、上の方は椿の花が咲く美しい山である。泣く子をよく守っているやさしい山である。」となります。「三諸」の山とは、おそらく奈良県高市郡明日香村の神奈備山であろうと言われています。表面上は山を誉めていますが、実は、婦人を誉めています。



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