神無月(かんなづき、かみなづき)

神無月イメージ「コスモス」

この月、古くから、日本の神々が島根県の出雲大社に集まると信じられていましたので、出雲の国は「神在月」(かみありづき)、その他の神社では神々がいなくなってしまうと言うことから「神無月」または「神去月」(かみ さりづき)と言われました。この「神無月」が最も一般的な名称とされていますが「鎮祭月」「鏡祭月」など、神々に縁のある呼び名もつけられました。また、十月は縁起の良い月と考えられ「吉月」「良月」「陽月」「大月」とも名づけられました。旧暦の「神無月」は、冬の初月とされていますが、暖かい日も多いことから「小春」(しょうしゅん)、「小陽春」、「極陽」など穏やかな名もつけられました。

今月の二十四節気と雑説
八日—寒露(かんろ)

二十日—土用(冬の土用)

二十四日—霜降(そうこう)

今月の草木花
コスモス 野原薊(のはらあざみ) 富士薊(ふじあざみ) 杜鵑草(ほととぎす)  藪蘭(やぶらん) 鶏頭(けいとう) 金木犀(きんもくせい)  野紺菊(のこんぎく)

作一の季節便り

寒露(かんろ)

二十四節気の一つで、十月の八日頃にあたります。朝露を踏むと冷ややかさを感じ、次第に秋が深まっていくのを感じる季節として名付けられました。この頃から山々の樹々の葉も寒露にあたり、紅葉し始めると言われてきました。

秋晴れ

夏の猛暑が過ぎ、すがすがしく晴れわたった空を「秋晴れ」と言います。「天高く馬肥ゆる秋」と言う言葉もあるように、春の「五月晴れ」とは、また違った気持ちよさがあると言われています。一方「女心と秋の空」とも言うように、変わりやすい天気とあって、観測上「秋晴れ」の日は、意外に少ないとも言われています。

衣替え

江戸時代以前の衣替えは、四月一日から袷(あわせ)を着用し、五月五日から帷衣(かたびら)を、八月十五日から生絹(すずし)を、九月九日から綿入を、十月一日から練衣を、それぞれ着用すると定められていました。その後、時代の流れとともに四月一日と十月一日の年二回が、衣替えとされるようになりました。

青魚の脂肪と成人病予防

秋が旬の鯖(さば)や秋刀魚(さんま)などは、市場で青物とか青魚と呼ばれ、脂肪の多い魚として知られています。魚の脂肪には、化学構造で二重結合が五つも六つもある高度不飽和脂肪酸が含まれているのが特徴です。その脂肪酸は、二重結合五個のものは、エイコサペンタエン酸(EPA)、また二重結合六個のものはドコサヘキサエン酸(DHA)と呼ばれ、これらの脂肪酸は、植物や豚、牛には全く含まれていません。EPAやDHAは、血中コレステロール値を下げるだけでなく、EPAは血液の凝固を抑制して、血管系のさまざまな病気、脳梗塞や心筋梗塞などを予防します。さらに、DHAは脳を活性化する作用がみいだされ「魚を食べると頭が良くなる」などといわれており、老人性痴呆の予防になるのでは、と期待されています。青魚の脂肪中に含まれるEPAやDHAは、魚の種類、捕れる時期や場所によって変わりますが、だいたい、一〇〇gの魚肉を食べるとすると、EPAは約一g、DHAは約一、五g摂取することができ、成人病予防に青魚を食べることが勧められています。

夷講(えびすこう)

「商売繁盛」「家運隆盛」の福の神である「夷神」(蛭子神または恵比須神とも書きます)を祀る行事を「夷講」と言います。大阪などでよく知られている、一月十日の 「十日夷」のほか十月二十日の「二十日夷」があり、一年間に二回行われます。商売繁盛を祈る「十日夷」に対して「二十日夷」は、一年の商略で相手を侮ったりした罪を払い、神罰を免れようと神社に参拝することから「誓文払い」とも言われていました。この日は床の間に「夷」の掛け軸をかけ、鯛、神酒、鏡餅、柿、栗などを供え、客を招いて酒宴を催し、器などに千両、万両の値をつけ、商売のまねごとをして縁起を祝ったと伝えられています。

米の生産量

世界の米生産は約六億二千トンで、うち約七十七%をアジアが占めています。中国が三十%、インドが十八%を締め、日本は世界の約二%ですが、一㌶の収穫量を見ると朝鮮半島や日本は六トン以上あり、すぐれた生産量を誇ります。一九六〇年代半ば、日本人の、米の一人あたりの必要量は年一石(約一五〇kg)と言われていましたが、食生活の多様化により、現在では約六二kgにまで減少したと言われています。それと平行して、市場の指向は良品質米へと転換していきました。

(くり)

葉で作られたり根で吸収した栄養分が種子内の貯蔵器官に貯えられ、肥大、発達した部分を食用として利用するものがナッツです。秋を代表する栗や銀杏、トチ、ナラ、シイの実などの貯蔵栄養分はでんこが主で、穀物の不足を補うための主食として利用されていました。栗は北半球の温暖帯で約十二種が分布しています。日本で栽培されているのは野山に自生するシバグリから改良された日本栗で、渋皮離れは悪いが、果実が 大きいことで世界的に知られています。栗は縄文時代の遺跡からも出土し、古くから食用とされていました。文献的には「古事記」にも記されており、平安時代には蒸して粉にした平栗子(ひらぐり)、乾燥して皮をとった搗栗(かちぐり)など保存しやすい加工品も作られていました。戦国時代には「勝」に通じるとして縁起物となり、のちに正月の縁起物に転じたと言われています。

いわし雲

秋空にいわしの群れのように浮かぶ雲を「いわし雲」と呼びます。正式な学名は「絹積雲」(けんせきうん)で、実際、猟師の間では、この雲が見えるといわしの大漁があると伝えられてきたそうです。また、この頃漁獲期にあたる鯖の斑紋にも見えることから「鯖雲」とも呼ばれているそうです。

紅葉(もみじ)

秋も深まってくると、緑色であった草木が、露や、湿気を含んだ寒気にあたり、赤、黄、褐色などに変化します。このことを古語では「もみつ」「もみず」と言い、これが名詞化され「もみじ」になりました。色よく染まった草木すべてを「紅葉」と言いますが、最も一般的になったのが「楓」(かえで)の葉で、次第に「もみじ」として親しまれるようになりました。京都の「嵐山」、大和の「龍田川」のほとり等に、この「楓」を植林し、美しい「紅葉」の名所が生まれました。また、見事な紅葉の群生する深山幽谷の山々に、猟師が獲物を追って向かうことを「紅葉狩り」と言いました。「紅葉狩り」は、どこまでも自然美を追っていきたいと する日本人の心情に合い、能や歌舞伎、長唄などでも演じられるようになりました。

霜降(そうこう)

二十四節気の一つで、今の暦では二十三日頃にあたります。「秋気ようやく閑(た)けて、朝、しばしば露を見る」と言う季節になったことを意味します。この頃になると、虫の音もかなり減り、秋も一段と深まり、ときには冬を感じるような肌寒い日も増えてくると言われています。

わが恋(こひ)も 今は色にや 出(い)でなまし軒(のき)のしのぶも 紅葉(もみじ)しにけり

【新古今和歌集、源 有仁 ( ありひと )

歌意は「自分の恋も、もう忍びきれず表面に表れることであろう。耐え忍ぶという名のある軒の、忍ぶ草も色に出て紅葉したことだ。」となります。

海原(うなばら)の ゆたけき見つつ 葦(あし)が散る 難波 (なにわ)に年は 経ぬべく思ほゆ

【万葉集、巻二十、大伴家持】

昔、難波は海辺にあり、しかも川が行く筋にも分かれて湿地帯を形成していたので、葦が非常に多く茂っていました。「難波」と「葦」とはその頃から付き物で、現在も「葦」は大阪の府花となっています。歌意は「難波の海の豊かなゆったりした有様を見て、私はここで何年も過ごしてしまいそうに思われる。」となります。



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