如月(きさらぎ)

如月イメージ「梅」

最も、寒さを感じる月ですが、旧暦では一月~三月を春とし、二月は仲春にあたるため、酣春(カンシュン)、美景(ビケイ)、令節(レイセツ)、恵風(ケイフウ)、華朝(カチョウ)、麗月(レイゲツ)等、春先を表現する語が多く用いられます。梅が花々のトップを切って咲くところから、初花月(ハツハナツキ)、梅見月(ウメミツキ)、また やや暖かくなるので、雪消月(ユキゲツキ)、等とも言われています。最もポピュラーなのは、如月(きさらぎ)で、衣更着とも書きます。寒いので着るものをさらに増やす月といわれています。

今月の二十四節気と雑説
三日—節分

四日—立春

八日ー針供養

十九日—雨水(ウスイ)・旧正月

今月の草木花
梅、椿(ツバキ)、金魚草、マーガレット、節分草

作一の季節便り

節分(二月三日)

本来、立春、立夏、立秋、立冬の前夜を節分といいますが、春の節分を重く見るようになり、室町時代中期から立春の前夜を節分と呼ぶようになりました。平安期、聞鼻(カグハナ)という悪鬼が、節分の晩に都へ出てきて女子供を取って食べましたが、この鬼は鰯の匂いが大嫌いで、鰯のある家には入りませんでした。そこで鬼よけに鰯を戸口に置き、もしこれを取り除けようとすれば手にとげが刺さるよう、柊(ヒイラギ)の葉をあしらいました。この様な風習は、江戸時代になってから一般家庭で行われるようになりました。

豆まき

鞍馬山の鬼が、都に出てきたので困っていたとき、毘沙門様の御告げがあり、それに従い七人の博士が、七七四九日の間祈願をして、鬼の出る穴を封じて、三石三斗の豆を投げつけて追い払ったという伝説から来ています。尚、鬼払いの効力のある豆を年齢の数だけ食べるという習慣は、後世で付け足したものと言われています。

立春(二月四日)

二十四節句の一つで、春の気立つというので、寒さは残りますが、すぐそこに春の来ていることを表現した呼び名です。この日の後はいわゆる春めく頃となって、空の色も春らしくなって行くと言われています。この日はいろいろな行事の起点となっており、この日から数えて十五日目を雨水(うすい)、八八日目を八十八夜、二一〇日目を二百十日 (にひゃくとうか)と言います。

光の春(ひかりのはる)

立春を過ぎてもまだまだ寒気、厳しい日が続きます。しかし日脚は着実にのびていて、冬至(十二月二一日頃)の頃と比べると、昼間は一時間も長くなっています。地上の季節は、太陽の運行から一~二ヶ月遅れて追いかけて来るといわれています。陽光はこの頃からもう春を告げているのです。

虎落笛(もがりぶえ)

「もがり」とは、竹を荒く組んだ垣根のことで、戦などの時に矢などから身を守るために使ったりしました。また「我を張る」や「駄々をこねる」といった意味もあるそうです。これが転じて、冬の強風が竹柵などにあたり、笛を吹いているように聞こえる音を、虎落笛と呼ぶようになりました。

台湾坊主(たいわんぼうず)

西高東低の冬型の気圧配置が弱まってくると南洋の暖気団が北上し、台湾付近に低気圧が発生することがあります。これを等圧線の形から台湾坊主と呼びます。発生して短時間で日本に接近してくるので、登山家などに恐れられています。

雨水(うすい)

二十四節気の一つで、立春から数えて十五日目で、今年は二月十九日にあたります。うすい雨水とは、「あまみずぬる雨水温む」と言うことで、気節がゆるんで、雪が雨となって降るようになるという意味です。このころから、日ごとに早春の気が立ち始めるとされています。

春一番

その年の最初に吹く、強い南風を言います。二月中旬から三月はじめ頃、日本海側を発達した低気圧が通過すると、南から暖気が吹き込んで来、そのとき起こる風を、春一番と呼びます。春を告げる暖かい名前の風ですが、フェーン現象をもたらし、各地で災害を起こすことも多く、注意しなければならない風でもあります。

閏年(うるうどし)

普通の年は、一年が三六五日ですが、うるう年は一日多く三六六日です。なぜ四年に一度うるう年があるのかというと、地球が太陽の周りを一回りするには、厳密に言うと三六五.二四二日です。一年は三六五日ですから 〇.九六八八日となり約一日となるので、四年に一度二月を二九日に増やしたのです。ちなみに、このうるう年のとき偶然にも、オリンピック大会とアメリカの大統領選挙があります。

東風(こち)

春先になると、太平洋から大陸に向かって、柔らかく弱い東からの風が吹きます。南風ほど暖かくはありませんが、寒気が緩むので、この風が吹くと喜ばれます。しかし、雨を伴うことが多いので、漁民や船員には「こちしけ」と呼ばれ、しけになることもある風として恐れられています。

梅が 香 ( か ) に 昔をとへば 春の月 こたえぬかげぞ 袖にうつれる

【新古今和歌集、春上、藤原家隆】

歌意は「昔のままに美しい梅の花の香りに向かって、懐かしい昔のことを尋ねたが、梅は答えず、何か語りそうな月も答えず、ただその光を、昔懐かしさにこぼれた袖の上の涙に映していることだ。」となります。

旅人の  宿 ( やど ) りせむ 野 ( の ) に 霜降らば  吾 ( わ ) が子 羽 ( は ) ぐくめ 天の 鶴群 ( たづむら )

【万葉集、巻九、作者不詳】

歌意は「遣唐使の一行が野宿するであろう野に、霜が降ったならば、翼をもって我が子を包んでくれ、空飛ぶ鶴の群れよ。」となります。天平五年、難波(なにわ)を出帆した遣唐使の一行の我が子に詠んだ歌とされています。

酒 杯 ( づき ) に 梅の花浮かべ 思ふどち 飲みての後は 散りぬてもよしれる

【万葉集、巻八、 大伴坂上郎女 ( おおとものさかのうへのいらつめ )

この歌は梅と共にあり、酒を飲んで楽しむ「遊び」を歌ったものです。「遊び」はすべて心を楽しませることであり、それには酒は欠かせないものでした。「遊ぶ」という言葉はいろいろな意味に用いられ、琴や琵琶を弾いたり、歌を唄ったり酒宴を催したり、気晴らしに野山に出かけるなど、日常的な状態から離れて、体を休め心を楽しませること全てを「遊ぶ」と言っていました。

妹が家に 咲きたる花の 梅の花 実にしなりなば かもかくもせむ

【万葉集、巻三、藤原八束】

歌意は「まだ少女のあの娘の家に咲いている梅の花が、実にさえなったら、私はどのようにしてでも我がものにしたい。すなわち、あの娘が成人したら自分の妻にしたいものだ。」となります。



Twitter

Welcome , today is 火曜日, 2017年10月17日